徳島県の「こころの支援チーム」は震災後5日目の3月16日に第1陣が出発し、4月30日の第15陣まで現地引き継ぎの完全自己完結型で継続されました。
徳島県は関西広域連合の一員として兵庫県や鳥取県と共に宮城県の支援を行うこととなり、主に仙台市若林区の医療・保健活動を支援しました。
支援チームは医師とその他の職種(看護師、心理職、事務、保健師、精神保健福祉士)の3名〜4名で構成され、 後の班が現地に到着すると引き継ぎを行い、前の班が帰途につくというように完全自己完結型で継続されました。
このため1チームは4泊5日の日程で派遣され、実際に現地で活動するのは3日間でした。
延べ57名が派遣されました。内訳は精神科医 15名、看護師 13名、事務職 15名、心理職 10名、精神保健福祉士 2名となります。
徳島大学病院の医師は第4班の渡部を始めに第6班(浅野)、第9班(亀岡)、第11班(久保)、第14班(中土井)が参加しました。 それ以外の医師も参加を希望していましたが、支援対象地区での医療施設や保健活動の回復によって、 ひとまず4月30日の第15班を持って、我々の支援チームはその役目を終えました。
徳島県の「保健師チーム」から要請のあった被災者に対して、避難所を巡回しながら相談や診療を行うこととなり、延べ178ヶ所、481名の相談を行いました。
1つのチームの活動期間は3日間と短く、被災直後は避難所の雰囲気が支援を受け入れるようなものではなかったり、 避難所の統廃合が激しくなると収集した情報が引き継げなかったりと無力さを感じる場面も多かったようですが、 継続的な活動を44日間行うことによって、改善が実感できた事例もあったそうです。非常事態において、 結果がはっきりと見える活動ではなかったのですが、我々ができることを確実に行ったものと考えています。
簡単ながら我々が行った支援活動をご報告しました。 支援活動を行うには、被災地に訪れたものの働きだけではなく、主治医が不在になった患者を代診した医師や調整役をした事務職員など多くの職員の協力が必要でした。 当時は全ての職員が連絡を取り合い、熱心に支援活動に取り組んでおりました。 徳島県は南を太平洋に臨み、温暖な海流の恵みをもとに発展してきましたが、幾度となく南海地震による被害を受けています。 あのとき、我々の心のどこかに「次は私たちの番かもしれない」という考えがあったのかもしれません。 被災地における非日常の体験は、私たちの日常に大きな影響を与え続けています。被災地の皆様が一日も早く日常を取り戻すことができますようお祈り申し上げます。