心は目に見えません。これは、精神疾患が他の疾患に比べて理解し難いと多くの方が思う理由の一つかもしれません。 しかし、目には見えない精神疾患を我々人類は古くから認識していたようです。シェークスピアは歌劇に描き、 さらに遡るとヒポクラテスは医学書に記していました。科学の進歩に合わせて、精神疾患の病態が明らかとなってきましたが、 全貌はいまだにとらえきれていません。現在の私たちが目前の患者さんの病因、病態、予後を知ることはできないのです。 実際に患者に起こっている病態を客観的で再現性を持った指標で表すことができたならば、それは患者さんを始めとした 社会全体に計り知れない利益をもたらすはずです。このような精神疾患の生物学的マーカーを見出すことが、私たちの大きなテーマになります。
生体の脳を視覚化する手法は近年、相次いで開発され発展してきました。
MRI(Magnetic resonance imaging)は脳の詳細な解剖学的構造を描き出します。初期には、ボクセル(得られる体積の単位)は 1cmでしたが、現在、私たちが使用しているMRI装置では0.5mmのボクセルを用いています。H+(プロトン)が生じるシグナルを 取り出して黒-灰色-白の階調で描き出します。この階調の差によって、脳は神経細胞体の豊富な灰白質(GM:Grey Matter)、 神経線維の豊富な白質(WM: White Matter)、そして脳脊髄液(CSF)に分類できます。SPM(http://www.fil.ion.ucl.ac.uk/spm/)と いうソフトウェアが各被験者の脳を標準化し、統計を用いて比較することができるようになりました。精神疾患のなかでも 統合失調症患者を対象に多くの研究が行われています。その結果、統合失調症患者は健康対照群に比べて島皮質、前部帯状回、海馬傍回、 視床などの灰白質体積が少ないということが多くの研究で一致しています。この体積の減少は、病気の原因なのか結果なのか、 さらには病態をどのように説明するのかについては、他の手法を組み合わせて多元的に理解することが必要になります。
MRS(Magnetic Resonance Spectroscopy)は、MRIと同様の核磁気共鳴現象を利用した画像手法ですが、非侵襲的に生体内の物質の量を 測定することができます。この測定結果からは、その部位の代謝、循環、機能の様子を推測することができるのです。 プロトンMRS(1H-MRS)は臨床手法の一つとして普及しつつあり、今後、日常臨床にも広がっていく可能性があります。 当研究室では、これまで脳腫瘍や脳血管障害、神経変性疾患に関して検討されていたMRSを精神疾患の研究にも早くから用いて、 多くの新たな知見を見出しています。我々の研究では、慢性期の統合失調症患者と健康対照群を比較したところ 前部帯状回のグルタミン酸が減少していました。グルタミン酸は神経伝達物質として利用されており、グルタミン酸神経伝達の低下が 慢性期統合失調症患者に存在することを示唆しています。このように病態を知ることは病因の解明や診断に大きな進歩をもたらします。 さらに、これらの技法によって有効な治療方法を事前に知ることができれば、速やかな改善を提供できる可能性があります。 1H-MRSを用いて精神疾患患者にこのような検討を行った研究は少ないのですが我々の研究室では、強迫性障害患者を薬物療法の 反応によって抗うつ薬に反応した群、抗精神病薬の付加に反応した群、いずれにも反応しなかった群の3群に分け、 抗精神病薬に反応した群のみが健康対照群に比べて前部帯状回のNAA濃度が有意に低かったことを見出しました。 1H-MRSが薬物反応性を予測する生物学的マーカーとしての可能性を示唆する結果です。
脳画像研究は精神疾患において最も重要な手法の一つとなっており、今後も発展が期待されます。現在、我々の研究室では 放射線医学教室の協力を得て、MRI、MRS研究を進めています。
- 図A:MRIによる3次元画像。
- 図B:SPMを用いて抽出した灰白質。
- 図C:MRSの関心領域。四角は前部帯状回。
- 図D:MRSのスペクトラム。